-- end/2002 - 2003 --

【2002年 12月】


12月 at 2002 12/02 17:24

今日の昼間は、日が照っていて、ダイヤも久しぶりに日に当たっていた。
ついでに、ブラッシングをして、絡んでいる毛を取ったりしていた。
ちょうど、昨日の夜からカラーをはずしていた。膿が止まっていたので。

が、この写真の後、後ろ足で顔をカッカッと掻いてしまい、膿が噴出して、畳が膿の海(?)になって大変だった。

傷がふさがっても、結局は中で溜まり続け、また漏れてくるのだ。
そう判っていても、たった1日位だけど、カラーを取っていてあげたいと思う。






血合い at 2002 12/04 08:50

お刺身をあげるようになってから、少し食べるようになった。
お刺身は、みじん切りにして、ミンチ状にする。これは、かなり気に入ったようで、ペロリと食べる。
最初は、やはり必ず戻していたけれど、最近は、戻さない時もでてきた。
この食べるお刺身の方に、マイタケエキスを混ぜてあげる事にしている。
やはり、このエキスの食欲増進効果は、てきめんなのか、再び缶フードも少しは食べるようになってきた。
本来は、お刺身だけでは良くないのだろうけれど、今は栄養を考えるよりも、食べるモノをあげた方がいいに決まっている。
それに、カロリーエース(総合栄養食)は飲んでいるので、良しとしよう。

まぐろのお刺身は、何となく「血合いの方が鉄分あるかな?」と、こっちをあげている。
普通の赤身と比べてどうなのかなぁ。そんなには、変わらないかな。



ために。 at 2002 12/05 18:46

「ヒカルの碁」というマンガがある。
昨日、アニメを観ていたら、
「自分は誰かのために存在する。そして、その誰かも、また別の誰かのためにいる…」
というようなセリフがあった。

その瞬間、
「私はダイヤのためになっているのだろうか」
と思ってしまった。

ダイヤは確かに、私のためになっている。
私はダイヤのおかげで、いろいろな事を知ることが出来た。
癌の事、闘病していくという事、その周りの人達の事、
悲しい事、ツライ事もあるけれど、楽しい事もいっぱいあった。
HPを通じて、多くの方と知り合いになる事が出来た。
HTMLを覚えたのだって、コレのおかげだとも言える。
いろんな事を、本当に多くを学んできた。

でも、ダイヤにとって、私は「ため」になっているだろうか。
何年もの間、いじられ、何度も何度も痛い思いをして、治療させられている。
ダイヤにとって、これは「ため」になっているのだろうか。

ダイヤのために、存在しているモノは一体なんだろうか…。

私は、ダイヤのために、なる事は出来るのだろうか。



無題 at 2002 12/11 11:02

ダイヤ。
食べては、いる。
でも、吐いてしまう。
液体だけの時でも吐く。

少し前までは、吐いて、またそれを食べていたけれど、この所は、吐いたらもう食べない。

気持ち悪くて吐いているなら、吐気止めなど有るだろうけれど、
多分、腫瘍などで喉につかえて吐くのだろう。
これはどうしたらいいのだろう。

カロリーエースもあまり飲まなくなった。



通院日 at 2002 12/12 21:51

今日は朝から、大学病院へ行った。
前回と同じく、点滴。今までより少し多め。

レントゲンで見ると、やはり胸水は溜まってきている。
最初、「今日は抜きましょうか」と言っていたけれど、結局しなかった。
前回と比べると、それ程、急激には増えていないそうで、ダイヤ自身も、まだ、見るからに苦しい、という感じでもないからだ。
それに、今抜いて、反動でかえって増えてしまう可能性もあるから、との事だった。

食べても吐いてしまうので、吐気止めの薬を貰った。ガスターだ。
確かに、腫瘍によって、反射で戻してしまうのかも知れないけれど、
実際の所、それだと吐気止めの薬ではどうする事も出来ないけれど、
でも、飲んでおいて多少は期待するしかない、という事だった。
――でも、どうやって飲ませようか…。

「そろそろ、朝起きたら、もう呼吸をしていなかった、という事があるかも知れませんね」と言われた。

どうしたら、眠るように…となる事が出来るのだろう。苦しまずに。

――そんな事を考えてしまう。



ミキサー at 2002 12/15 00:11

少し食べるようになった。
すりつぶしてあげるより、ミキサーにかけた方が食べるような気がする。
舌触りとか、ちょっと違うのかな。

ミキサーだと、少量は難しいので、缶詰一缶は、作らなくてはならない。
しかも、きれいに取れないので、7、8割位の量になってしまう。
「きれいに取れる裏技」…何かないかしら。

食べる、と言っても、
ほとんど食べなかったのが、数回舐める程度になったくらい。
そして、やっぱり吐いてしまう。

3、4日前から、歩くのもよろけるようになった。
いつも居る場所に戻る途中で、倒れ込んでしまう事もある。「ま、ここでもいいか。」という感じで、そこに行き倒れている。

もう、ネコトイレの縁が、またげなくて、外側でしてしまう。

左頬も、また大きく裂けてしまった。
だいぶ前からカラー無しで過ごしていたけれど、これ以上ひどくなったら、またネットをするなり何かしなくてはならない。
きっと、カラーの重さは、かなりの負担になってしまうだろうなぁ。



困りモノ at 2002 12/16 21:42

ミルミキサーを買った。
せっかく買うのだから、と、スティックミキサーと、どちらにしようかとすごく悩んだが、結局ミルミキサーの方にした。

ミキサーも今まで使っていた物より少量サイズだけど、とりあえず、ダイヤの食事はミルで使ってしまっている。洗うのも楽だし。

と言っても、ダイヤが食べるのは、あまり変わらない。ほんの少し。
でもカロリーエースもまた、少しだけ舐めるようにはなった。

食べて吐いて、やめてしまう割には、何か食べたいらしくて、困った事に、ドライフードが食べたいらしい。
食べられるのなら…と、様子を見ているけれど、やはりかなり苦労しているよう。
これを、ふやかしたりすると、食べないし。

しかも、ライトがいいらしいのだ。低カロリーの。
他の普通のドライだと、そうでもないけれど、ライトだと目の色変えて食べようとしている。なぜっ?シニアだと見向きもしないクセに。

そして、このライトは、肥満児ウメのために買っているのだが、こっちはライトは嫌らしい。

みんなワガママで、困りモノなのだ。



衰弱 at 2002 12/19 01:26

昨日のお昼頃、ダイヤはいつものように、
キッチンに食べに来た。
出してみるが、ニオイをかぐだけで、
食べない。

この所、歩くのもかなりよろける。
キッチンに座り込んだまま、動かない。

そろそろ、本当に強制給餌しないとダメだなぁ、と思い、
チューブの栄養剤ニュートリカルと流動食のカロリーエースをシリンジであげてみる。
以前は、とても嫌がっていたけれど、もう抵抗もしなくなったのか、なんとか飲み込んだ。(せっかくなので、胃腸薬のガスターも一緒に混ぜてあげた。)

その後、いつも居るオイルヒーターの横に連れて行ったら、そのまま横になってしまった。
何度か、立とうとして後ろ足を動かしていたけれど、力が入らないらしい。

何とか起きてみるものの、すぐ倒れてしまう。
そうやって転がりながら、どんどん動いて行ってしまう。
結局、倒れたまま吐いて、舌を出して苦しそうにしていた。

やはり、これからは、シリンジでの給餌でいかなくてはならないか…。

自分で食べたくないのに、強制的に食べさせるのが、本当に良い事なのか、
考えてしまう。


栄養 at 2002 12/21 09:24

ミルサーってすごいんだなぁ、と思った。
ドライフードも粉々になる。当たり前だけど。
ドライフードをお湯にひたして、ふやけるの待ってつぶすより、ミルサーで粉々にしてお湯でとけば、あっと言う間に出来上がり!

でもダイヤは食べないんだけどね(T∧T)

シリンジで、口の中に入れる。
ニュートリカル+カロリーエース。
どちらもシリンジに直接入れる。
ニュートリカルはペースト状なので、振った位では混ざらない。
だから、液体のカロリーエースだけが先に出て、最後にニュートリカルが溜まって出てくる。
やっぱり、ニュートリカルが嫌なのかなぁ。最後の方になると嫌がる。

昨日の夜は、a/d(衰弱時用の缶)をお湯でといてシリンジであげてみた。
意外に、結構食べた。こっちの方が飲み込みも早いので、量もあげられた。

意欲が無いのに強制であげるのは、気がひけるが、ダイヤは今の所、まだ何かを食べようとしている。よろよろしながら、頑張って歩いて起きて来る。
お皿に出すと、ほんの数回だけだけど、自分で舐める。

食べようとしているうちは、しばらくは、シリンジで補助してあげようと思う。
そう、強制ではなくて、補助だと思えば…。

自分で舐めた後は、たとえ少量でも必ず吐いてしまうのだけれど、シリンジであげると、なぜだか吐かない。
なぜだろう?

――でも、
こうやってあげているのも、癌細胞に栄養をあげているんだろうなぁ、とも思ってしまう。



おつかれさま at 2002 12/22 23:27

12月22日21:06 ダイヤは永眠しました。

ようやく、苦しみから解放されたね。良かったね、ダイヤ。

これで、ラクな体になって、
天国のお友達と一緒に、楽しいクリスマスを過ごせるね。

MERRY CHRISTMAS。。。






12月22日の事 at 2002 12/25 00:42

数日前から、ほとんど立てなくなったダイヤ。
でもトイレには自力で行く。
プライドが高かったダイヤだから、ちゃんとしようとしていたんだと思う。
でも、日に日に戻る距離が短くなった。途中で倒れてしまう。
21日に最後に自分でトイレに行った時は、もうその場から出られなくなってしまっていた。

思えば、歩けなくなる直前、フラフラしながらも、家の中を歩いていたっけ。
あちこちの部屋、お風呂場、などなど、何かを確かめる様に、見つめていた。
私が出かける時も、玄関について来て、外を見ようとしていた。出たいのかなぁ、と思っていた。
今度抱っこしてちょっとだけ見せてあげよう、と思いつつ、それっきりになってしまった。

だんだん苦しそうになっていくダイヤ。
シリンジでa/dをあげた時、結構食べたけれど、あれはきっと、私へのサービスだったのかも知れない。頑張って食べたんだと思う。
あの後、全然受け付けなくなった。

22日の夕方頃、かなり苦しそう。
ゼーゼーしている、と言うか、いびきのような感じだった。
この時点で体温35.7度。
普通ネコは38度近くあっても良い。
もう体温は下がり始めていた。

いつも居るオイルヒーターの部屋の方が静かでいいのかな、とも思っていたけれど、もっと暖かい方がいいかな、とも思い、
居間のコタツとホットカーペットを暖かくして、顔だけ出して入れてあげた。
それと、みんなが居る所の方がいいかな、とも思ったので。

とても苦しそう。
ときおり、前足を伸ばし爪を立て、ふんばっている。
そして、何度となく、顔を上げ、私の方を見つめる。
「苦しいよ。つらいよ。」と訴えている目だった。
私は、安楽死の事ばかり考えていた。
でも、今日は日曜日で休診だし、どうしよう。連絡すれば緊急で来てもらえるのだろうけど、どうしよう…と。
「苦しいね。つらいね。」としか言ってあげられなかった。
「もう頑張らなくてもいいんだよ…」とも言った。

ダイヤは、1度、大きな口を開けて、音の無いゲップをするようなしぐさをした。
その瞬間、ゼーゼーしていたのが、スッ…と治まった。荒い呼吸もゆっくりになった。
ずっとお腹をさすっていた私の手に、今までの激しい鼓動が感じられなくなった。

オットを呼ぶ。
オットがお腹に耳をあてると、「大丈夫。まだ聞こえる」と言った。
私もやってみる。
でも、私には判らない。耳を澄ますけれど判らない。
「わからないよ…」と言って、もう一度、オットに聞いてもらう。
――もう止まっていたのだ。

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テン、チョビ、ウメをかわるがわる連れてきて、逢わせた。

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翌朝、霊園に電話をして、火葬の予約をする。
午後3時に入れてもらった。

お昼頃、キャンセルの電話をした。

まだ、昨日の夜の事なのに、
まだ、数時間しか経っていないのに、焼いてしまうなんて、やっぱり出来ない。
15年も一緒に居たのに、死んでしまったからって、すぐに無くしてしまうなんて出来ないよ…。

結局、もう一日延ばして、翌日予約をした。

ずっと食べられなかったダイヤ。
一緒に、たくさんたくさん食べ物を入れた。
ニジマスが好きだったけれど、今の時期は、手に入らなかった。かわりにアユを入れた。
鰹節とかササミスティックとか、いっぱいいっぱい入れた。

12月24日15時、立会い火葬。

この日は、私達夫婦の結婚記念日だった。



死別という事。 at 2002 12/30 19:00

「死別の悲しみ」というのは、どういう事なんだろう。

「悲しい」というのは、とてもあいまいで、漠然としたもののように思える。
どういうのが「悲しい」?

辞典を見ると「泣けてくること」とある。

ダイヤが死んでしまってから、たくさんたくさん泣いた。
思い出しては、泣いた。

ダイヤは、ずっとずっと苦しんで苦しんで、
やっと解放された。
顔だって、腫瘍がむき出しになっているくらい皮膚が裂けて、膿んでいたのだから、痛くないはずがない。
それからも、解放された。
だから、喜ぶべき事ではないのか?

それなのに、どうして、涙が出るんだろうと思いながら、泣いた。
嬉し泣きなのかと思ったけれど、やっぱり違った。

死んでしまった事よりも、別れた悲しみなのか…。
それも、やっぱり違う。

ダイヤがいなくなって一週間。
いろんな事を考えていた。

涙が出るのは、きっと私自身の悔しさのせい。
「あの時、ああすれば良かった」
「あの時、もっとこうすれば良かった」
そういう、いろんな後悔が、浮かんでくる。
そういう、どうしようもない悔しさが沸いてくる。

後悔しないように、
後悔したくないから、今までいろいろやってきた。
でも、結局、満足なんかしない。欺瞞でしかない。人間は勝手なんだ。

ペットとの死別の涙というのは、自分への悔し涙なんだと思った。

【2003年 1月】


最後の挨拶 at 2003 01/09 20:05

ダイヤが居なくなって2週間が過ぎた。
この世界のどこにも居ないのだと思うと、何とも言えない気持ちになる。
こういうのを「むなしい」と言うのかな。

自分でも、不思議な程、気持ちはすっきりしている。
「ダイヤ、おはよう」「ダイヤ、出かけて来るね」「ダイヤ、ただいまー」
「ダイヤ、お魚食べるー?」などなど、
普通に、話かけられる。

でも、実在した時の事を考えたり、
戴いたメールを読んだりすると、
どうしようもなく涙が出てくる。

今日は、ダイヤの診察の予約日だった。
夕方、終わる頃に行った。
治験の薬を貰っていたので、未開封の物と記録用紙を渡すだけで帰るつもりだったけれど、先生達は、ちゃんとお会いして下さった。
私は、診察室に入った途端に涙があふれてきてしまって、上手く話す事が出来なかった。

今まで、長い間、お世話になった事、
いつもいつも迷っていた私達に、ちゃんとお付き合い下さった事、
たくさん、お礼を言わなくてはいけなかったのに、何も言えなかった。

治療法等、後悔は、していない事、
寿命もあった、と割り切っている事、など、
伝えたかった事を、何も言えなかった。

大学のかたで、このHPを見て下さっている方がいると聞いた。
この場で失礼して、先生にお礼が伝わると嬉しいです。

本当に、有難うございました。
信田先生に診ていただいて、ダイヤは後悔していないと思います。
高飛車なダイヤでしたが、遠藤先生には、いつもゴロゴロしていました。
ダイヤを看て下さった皆さん、今までお世話になりました。
ダイヤの様子が、他の子達のための何かの参考になれば幸いです。



ダイヤが3年8ヶ月通院した
「麻布大学獣医学部付属動物病院」(神奈川県)





ダイヤ 一番最後の写真(2002年12月19日)

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